■はじめに
医師の需給問題は、単純な数字だけではその本質を見誤る恐れがあります。全国レベルでの集計値が示す楽観的な見通しの裏で、地域と専門分野における深刻な構造的歪みが進行しているのです。
■ミスリーディングな総数
厚生労働省の需給推計によれば、2030年代から2040年代にかけて、全国レベルでは医師の供給数が需要を上回る、いわゆる「医師過剰」の時代が到来する可能性が示唆されています。例えば、2040年には供給数が33万3,192人であるのに対し、需要数は中位推計で29万9,200人程度と予測されています。この数字だけを見れば、医師不足問題は自然解消に向かうかのように見えます。
実際に現場の医師と話を聞いていると、それなりの役職の医師であったとしても地域によっては過去の収入を維持するためにアルバイトをされている方はそれなりにいます。20~30年前の収入と比較して一部の医師以外は収益が減少しているのが現状です。過剰となればなるほど、よほど収益を得ている施設でないと継続的に収益を得ることが難しくなっている現状があります。
実際に行われている業務、そのリスクを考えると非常に過酷な職種であることは間違いないと思います。
■偏在という現実
しかし、この全国的な「過剰」は、深刻な偏在問題を覆い隠す統計上の幻影に過ぎません。現実には、地方(医師少数県)や特定の診療科(産科、救急など)における医師不足は解消されるどころか、むしろ悪化の一途をたどっています。政府がこの偏在是正の切り札として導入した「医師偏在指標」も、特にキャリアを確立した医師の地域移動を促すには力不足であり、その効果は限定的となります。
また、医師の数は増えているとはいえ、今一番人気がある分野は「美容整形」なんです。研修医を卒業した時点からその他分野と異なり高収入、低リスク、労働時間も比較的安定しています。様々なメディアで広告やSNSを見ていると儲かっていることがわかりますよね。
■「働き方改革」という促進剤
2024年4月から本格適用された医師の働き方改革は、医師の健康確保という観点からは不可欠な措置である。しかし、ただでさえ人員が不足している地方の病院にとっては、この改革が医療提供体制の縮小に直結する。時間外労働の上限規制は、夜間・休日の救急対応能力を直接的に削ぎ、「救急搬送の受入困難」事例の増加や、地域における専門診療科の維持を困難にする「不本意な促進剤」として機能しているのが現状です。
■高齢化する医師
医師自身の高齢化も、地域医療の持続可能性を脅かす静かな時限爆弾となります。特に診療所では、開設者の平均年齢が60.0歳に達し、60歳以上の医師が全体の50%近くを占めています。病院勤務医においても、60歳以上の割合はこの20年で9%から15%に増加しており、今後、退職者の大量発生が地域医療にさらなる打撃を与えることは必至となります。
これらの要因が示すのは、医師問題の本質が絶対数の不足ではなく、配分と効率性の破綻にあるという事実である。特に、働き方改革と深刻な医師偏在が衝突することで、極めて深刻な危機が生まれている。この状況は、政策決定者に三つの望ましくない選択肢、すなわち「働き方改革を断念する」「地方医療の崩壊を座視する」「医療専門職の役割と責任を根本的に再構築する」のいずれかを迫ることになるでしょう。地方の限られた人員で働き方改革を遵守するには、サービスの縮小か、業務の移管(タスク・シフティング)以外に道はありません。看護師、薬剤師、臨床工学技士などへのタスク・シフトは、もはや理論上の選択肢ではなく、地域医療を維持するための必須の生存戦略となっています。皮肉なことに、医師の働き方改革は、日本が長年避けてきたタスク・シフティングと医療DXの導入を強制する、最大の推進力となっているのです。問題は、これらの変革が間に合わなければ、改革そのものが最も脆弱な地域の医療を破壊しかねないというリスクなのです。
キャリアの再定義を迫る、3つの構造的変化
今後の医師のキャリアを考える上で、基盤となる不可逆的な変化が3つ存在します。
- 供給過剰と偏在がもたらす「医師間格差」の拡大 マクロな視点での医師数の増加は、都市部や人気診療科における熾烈な競争時代の到来を意味します。一方で、地方や特定領域の医師不足は、残された者への過剰な負担を強いるという「二極化」が進みます。もはや、所属する地域や診療科によって、医師のキャリアパスは全く異なるものになるのです。
- 働き方改革が強いる「生産性革命」 2024年から本格化した労働時間規制は、医療界に「生産性」という厳格な評価軸を導入しました。長時間労働によって経験と評価を積み上げる旧来のモデルは崩壊し、限られた時間内でいかに高い価値を生み出すかが、医師個人の市場価値を決定づけます。これは、全医師に対する効率性と成果への強い要求に他なりません。
- 高齢化による「リーダーシップの空白」と世代交代の圧力 日本の医療を支えてきたベテラン層が、今後10年で大量に引退期を迎えます。これは単なる労働力不足ではないのです。彼らが担ってきたチームマネジメント、後進育成、地域連携といった無形のリーダーシップが現場から失われる「空白期間」の発生を意味します。この空白を埋め、次代の医療を牽引する役割は、否応なく若手・中堅世代の医師に委ねられることになります。
新時代を勝ち抜く医師に必須のキャリア戦略
この構造変化に適応し、自らの価値を最大化するためには、全ての医師が以下の戦略的視点を持つことが極めて重要となります。
- 戦略①:専門性の「深化」と「差別化」は絶対条件です 単一の専門医資格は、もはや優位性にはなりません。重要なのは、「専門性 × 別のスキル」という掛け算の発想です。例えば、「外科医 × データサイエンス」「内科医 × 経営学」のように、自身のコアスキルに希少性の高い能力を組み合わせること。これにより初めて、他者との明確な差別化が可能となり、代替不可能な存在価値が生まれます。
- 戦略②:ポータブルスキル(マネジメント・教育能力)の戦略的獲得 診療能力は医師としての「OS」に過ぎません。今後、キャリアを決定づけるのは、チームを率いる「マネジメント能力」や、後進を育て組織力を高める「教育能力」といったアプリケーションの部分です。これらのスキルは、もはや一部の役職者に求められるものではなく、全ての医師が意識的に獲得すべき新しい必須教養なのです。
- 戦略③:キャリアパスの「複線化」という能動的選択 臨床現場だけが医師の活躍の場ではありません。研究、教育、行政、企業(製薬・ヘルスケアテック)、国際貢献など、医師の専門性が活きるフィールドは無限に広がっています。一つの組織に依存するキャリアモデルは、変化の時代において極めて脆弱です。自らのスキルセットを棚卸しし、複数のキャリアパスを常に視野に入れる能動的なキャリア設計こそが、現代における生存戦略そのものです。
日本の医療、そして医師という職業は、歴史的な転換点に立っています。この変化を座して待つのか、あるいは自らのキャリアを再定義し、新しい時代のリーダーシップを発揮する好機と捉えるのか。日本の医療の未来は、個々の医師の、その知的な決断と行動にかかっています。